午前遅く。ダウンタウンのフロリダ通りのざわめきに包まれて歩いていたのに、扉を押した瞬間、まるで別の時間に迷い込んだようだった。

芸術が息づくモール、ガレリアス・パシフィコ
ボザール様式の優雅な建築が印象的な、ブエノスアイレスの老舗ショッピングモール──Galerías Pacífico。
建物の中に足を踏み入れると、吹き抜けの天井に描かれたフレスコ画が静かに迎えてくれる。


地下フロアのカフェで軽くブランチを。
全粒粉のパンにハムと野菜を挟んだサンドイッチと、カリッとしたフライドポテト。
カプチーノの泡と、小さなチョコレートの甘さに、少しだけ肩の力が抜ける。

美術館で出会った、ブエノスアイレスの記憶
そこから、タクシーでレコレータ地区にある「ブエノスアイレス国立美術館(Museo Nacional de Bellas Artes)」へ。

ピンクベージュの外壁の前に立つと、街の喧騒がすっと後ろに遠ざかるような気がする。
館内には、ヨーロッパ絵画と並んで、アルゼンチンの画家たちの作品も数多く展示されていた。
とりわけ心に残ったのは、街の記憶を描いたような三枚の絵。
Desde mi estudio(私の書斎より)|Fortunato Lacámera(フォルトゥナート・ラカメーラ)

ラ・ボカのアトリエから見た風景。窓越しの光と影が、港町の穏やかなリズムを伝えてくる。
誰もいない室内に、じっと耳をすませたくなるような静けさが漂っていた。
Elevadores a pleno sol(太陽の下の桟橋)|(ベニート・キンケラ・マルティン)

港の活気と喧騒を、力強い色と線で描いた作品。
静かな美術館の中で、この絵だけが少しだけ騒がしくて、まるで今も何かが動いているようだった。
Una calle de Barracas(バラカスの一角)|Horacio March(オラシオ・マーチ)

夕暮れの裏通り、ひとり歩く女性。背中越しの視線と、色を抑えた街並みに、不思議な懐かしさが滲んでいた。
過去のどこかに、自分もこの道を歩いたことがあるような、そんな感覚。
美術館を出ると、優しい風が吹いていた。通りを挟んだ向かいの公園には、白い石造りの記念碑「Monumento de Francia a la Argentina」が立っている。

緑の中で、少しだけ時が止まったような風景。
ここでしばらくベンチに座って、木々のあいだからこぼれる光をぼんやり眺めた。
静かな午後。
旅が、ゆっくりと終わりに近づいていることに、なんとなく気づいた瞬間だった。